明治11年の鉱脈再発見により生野鉱山の支山として稼働
一度は閉山するも大正時代に山を隔てた日本一の錫鉱山、
明延鉱山の選鉱場になり、最盛期には東洋一の規模を誇る
そのスケールに圧倒されます!
「ムーセ旧居・ムーセハウス写真館」
生野鉱山開発のため明治政府によってフランス人技師たちが招かれ
そのうちの一人、ムーセの住居は彼らが日本を去った後の
明治20年(1886年)神子畑鉱山の開発に伴って神子畑に移築され
事務舎・診療所として利用
現在は写真家・織作峰子さんの作品や鉱山に関する資料を公開
織作峰子さんと言えば‥
8年前に金沢21世紀美術館へ行った時に
翌日から「織作峰子写真展」が開催で
ちょうど準備中でちらりと見える作品に
もう一日いることができたなら‥
と悔しい思いをしたことが忘れられない。
「神子畑鋳鉄橋」
神子畑鉱山で採鉱された鉱石を、生野の精錬所へ運ぶために
作られた「鉱石の道」
この時に架けられた5本の鋳鉄橋のひとつで国の重要文化財に指定
明治18年の架設で鉄製の橋としては日本で3番目
全てが鋳鉄製の橋としては日本最古
但馬・播磨の6市町共同で申請した鉱山施設や輸送道路などからなる
「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」訪れた前日に日本遺産認定!
ピカピカで折り目の入ったのぼりが誇らしげに揺れていました。
おめでとうございます!!